全盲みくりの黄色い道しるべ

中途障害で全盲に生まれ変わったみくりの日常をつづります。視覚障害者と晴眼者がつながる道しるべとなりますように☆

◆声掛けできなかった高校生の私

本日8月1日は私が全盲になった日。
厳密に言えば網膜剥離の再発が見つかった日で、一時的に手術でわずかな視力が回復したんですけどね。
あれから3年。たくさんの方のサポートのおかげで、なんてことない日々を過ごせています。
というわけで?声掛けのありがたさを感じる私のエピソードを書いてみました。

まだ左目が0.6くらい見えていて、白杖をを使っていなかった高校生の頃のこと。
私は吹奏楽部に入っていたので、朝練のためにほぼ毎日7時過ぎの電車で登校していました。
朝早くて空席が目立つ車内の中、折りたたんだ白杖を膝の上にのせた男性が、時々端っこに座っていたんですね。
自分と同じ目が悪い人、将来自分も使うかもしれない白杖を持った人っていうのがあって、何となく気になる存在でした。

ある日、その男性が船をこぎながら眠っていました。
普段から目をつぶっていることはよくあって、いつもは1つ前の駅を過ぎると白杖を広げて降りる準備をしていたのに、その日はなかなか起きなかったんです。
(どうしよう、起きないな)
(もうすぐ着いちゃう、声欠けた方がいいよね)
(どうやって声欠けよう…、どうしよう)
(もうすぐ○○駅に着きますよって言えばいいのかな)
頭の中では色んな言葉が行きかうけれど、男性をじーっと見詰めたまま何も言うことができませんでした。
社会人になってからは少しよくなりましたが、学生時代の私はスーパーの店員さんに話しかけれないほどの人見知りだったんですよね。苦笑
どんどん駅が近づいているのに、気持ちが焦るばかりで何もできない私。
もう到着しちゃうという時、
「お兄さん、○○駅ですよ」
他の座席に座っていたスーツの男性が声を掛けてくれました!
私以外にも見守っている方がいたんですね。
自分は何もできなかったけれど、すごくほっとしたのを覚えています。

もしこの時起こしてくれる人がいなかったら、勘違いしたまま他の駅で降りていたかもしれません。
乗り過ごしたと気づいても、駅によって構造がバラバラなので、普段利用していない駅で引き返すのは難しいはずです。
こういったことで事故に遭う可能性もありますよね。
全盲になった今の私だからこそ、あの時の声掛けの重要さがわかります。
そして、声掛けにとても勇気がいると知っているから、いつも声掛けしてくださる方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
おかげさまで安心して、安全に生活できています。
これからもよろしくお願いいたします☆