全盲みくりの黄色い道しるべ

中途障害で全盲に生まれ変わったみくりの日常をつづります。視覚障害者と晴眼者がつながる道しるべとなりますように☆

◆障害者はいつも頑張っているのか?

障害者には、かわいそう、不幸だ、大変そうってイメージがつきまとう。

実際、障害があるからできないこと、不便なことや大変なことはあるけれど、決してかわいそうではないし、不幸でもないと思う。

工夫や練習をすればできるようになることだってあるし、少しのサポートで楽しめることもたくさんある。

そして、できなくて不便だったことも習得すればそれはただの日常となり、特別大変なことではなくなったりもする。
同じ状況に置かれていないのだから理解するのは難しいけれど、そういった健常者と障碍者の感覚の違いはなかなかうまらない。

 

私は歩いているときに「いつも頑張ってるね」「頑張ってね」と言われることがある。
確かに、突然見えなくなってから1人で歩けるようになるまでは頑張って練習したし、新しい道を覚えるのは大変だ。
でも、歩けるようになってしまえば健常者と同じようにただ歩いているだけ、いつもの日常であって、常に頑張っているわけではない。

 

小さな子供が自転車を乗れるように練習していれば「頑張ってね」というだろう。
でも、いくら小さな子供だろうとスイスイ乗っている姿を見れば「頑張ってね」ではなく、「気を付けてね」と言うのではないだろうか。
全盲の私が長い距離や慣れない場所を歩くのは大変だけど、自転車で急な上り坂を上るのが大変なのと同じだと思う。
道でわからなくなってサポートしてもらうこともあるけれど、健常者が通りすがりの人に道を尋ねるのと感覚的には同じだ。
それも含めて日常でありただ歩いているだけ、いつも頑張っているわけではない。
だから「頑張ってね」と言われると違和感を感じてしまう。

 

言う人からすれば特に深い意味はないだろう。
気にかけてくれているからこその言葉だろうし、声掛けやサポートをしてくれることにはとても感謝している。
ただ、障害があるから大変なことだろうと、時間がかかろうと手段が違おうと、私にとってはそれが日常であって、特別頑張っているわけではないということが、わかってもらえたらいいなと時々思う。